風の言葉 – 74

残暑……
……気がつくと、赤とんぼが飛び始めていた。
また、今年もいつものように夏が終わっていく。
けれど、同じ夏は、一度として無かったことは誰もが知っている。
今年、去年、一昨年、皆、その夏をどう過ごしたのか? 真剣に思い出そうとすれば、さまざまなヴィジョンが浮かんでくるはずだ。
なのに、私たちは「残暑」という一言でくくってしまう。
それは、「日常」という名の罠のように思える。
当たり前のように夏が来て、夏が終わり、秋がやってくる。
それを何処かで望んでいるから、何事もない印象として受け流そうとしてしまうのだ。
この瞬間も、たいへんな状況にある人達がいる。
闘病中だったり、突然、深刻な病気を告げられたり、会社が傾いていたり、家族や夫婦間の危機が表面化したり……。
その人達にも夏は平等に過ぎ去っていく。
ああ、秋をどのような心境で迎えるのか?
北海道でゲリラ豪雨が起き始めたという。
日本はすでに気候的には亜熱帯に属しているらしい。
だから、熱帯のスコールのような雨が突然降り注いだりする。
それでも、人々は日本の四季として季節を捉え続ける。
なんだか日常という罠と似ている。
さて、あなたはこの世界を硬いと考えているのか? それとも、柔らかいと捉えているのか?
前者だとあなたはまぎれもなく日常という罠の中で惰眠をむさぼるように暮らしている。
後者の人は、変化を変化として捉え、常に対処しようとしている。
ここで、問題。
骨は硬いと思うか?
では、人間の骨の中で最も硬いのは?
そう、頭蓋骨だ。
次に、子どもと大人では、どちらの方が頭蓋骨は大きいのか?
イヤ、質問を変えよう。
いつ? 頭蓋骨は子どもから大人へと大きくなったのか?
……私たちは、気がつけば変化を認識できるのに、そうしようとしない自分がいることに気づかなければならない。
なぜなら、日常の中で特異点でいなければ、私たちは変化に呑み込まれてしまうからだ。
早く気づいた人は、変化の中で、自らも変化させていくことができる。
そういう人が、自分の周りの環境を変えていけるのだ。
……夏が終わっていく。
そして、新しい秋が訪れる。
2013年8月28日 残暑
……慌ただしい日常の中で、思考のリズムと書くことのリズムの調整が難しい。
講演会等で話した後に書くのは嫌いだ。出来れば、書いたあとで話すようにしたい。
それが最近出来ていないのが、ややストレスとなっている。