森の愛
〜「愛ダス」より〜
北米、カナダの森林公園の杉の木たちは、毎年春になると一斉に花粉を空中にまき散らす。風に舞う花粉は、まるで吹雪のように森中を白く染めていく。花粉症の人が見れば卒倒しそうな光景も、森の生態系を支える重要な役割を担っている。花粉は、栄養価の高い餌なのだ。木や岩に付着した花粉を舐めに、アライグマや熊などがやってくる。川に落ちた花粉は魚たちの御馳走になる。森は杉のために新しい場所を提供し、杉はお返しに森の生命たちを養うのである。
「魚付林」というのがある。海岸線にある森林が風や波を防ぎ水温を安定させるために、付近の海は魚たちには格好の住居となる。さらに落葉や花粉や虫たちは魚の餌になる。魚の繁殖と森林の保護は切ってもきれない関係にある。そのことに気づいてきた人たちがいる。北海道オホーツク海沿岸の常呂町の漁師たちだ。彼らは魚を守るために山林を買い、植林を続けている。宮城県気仙沼には、「森は海の恋人、川は仲人」という言葉も残っている。
森は自然環境の一部であると共に、自然をコントロールもする。愛媛県で自然農法を営む福岡正信さんは、「森が雨を呼ぶんだ」と言う。砂漠に雨が降らないのは、森がないからだと。アフリカは多国籍企業の森林伐採で森を失ってから砂漠化が進んだ。森林は水を保ち、土中の養分を溶かし込んでミネラルの豊富な清水を作り出す。それが川や海に入っていく。そうして、栄養のある水はプランクトンを育てていく。
人間も森に守られてきた。南米の先住民であるマヤ・インディオは、生活のすべてを森に依存して暮らしてきた。食べ物になる植物や木の実もあり、動物や魚の狩りもできた。構皮や草からは着る物だけでなく、薬なども作られた。青森県の三内丸出遺跡を見ると、日本の縄文人たちも森を大切にして暮らしてきた跳が残っている。
スウェーデンには、子どもたちをバスに乗せて毎日森に連れていく「森の幼稚園」がある。先生は特に何かを教えるわけではなく、ときおり星の話をしたり、子どもたちの質問に答えたりするだけである。子どもたちは木の穴をじっと見ていたり、昆虫と遊んだりして、森の中で一日中過ごす。森の幼稚園の子どもたちは、日本の都会の子どもと比べて敏捷だが静かだという。
ファーブルも、森の中で遊びながら昆虫の生態を学んだ。エマーソンは、「直感力を養いたいのなら森に行くといい」と奨めた。森の中で不思議な体験をしたり、心身を癒された経験のある人はきっと多いにちがいない。昔は、頭痛がしたら森で休め、と言った。一昔前に流行った森林浴のフィトンチッドがどうの、オゾンがどうのではなく、森自体に生命を癒し、守る力があるのだ。
心身が疲れたときは森に行って休むといい。

