陰陽師の夢

~「夢わたり」より~

 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜』に、ケンタウル祭という”星祭りの夜”がある。「ケンタウル、星を降らせ!」と、青や赤色の小さな花火を手に、子どもたちが口々に叫んでは通りを走っていく。広場では大人や子どもたちが楽しそうに踊り、町にはアセチレンランプの香り漂う、美しい色とりどりの夜店が並ぶ。

 日本でも平安時代、人々は「星祭り」や「星占い」に夢中になっていた。中国大陸から入ってきた自然哲学の「陰陽五行思想」が、日本では神道や仏教とも結びついて、星の宗数「陰陽道(おんみょうどう)」となった。平安の都の陰陽寮という役所では、星占い、呪術、医療などが、政事を助けて行なわれたという。

 陰陽寮に、伝説的な陰陽師がいた。安倍清明である。京の都を荒らす妖怪や鬼を退治したり、未来を言い当てたり、不思議な術で病人を救ったりしたと、『宇治拾遺物語』や『今昔物語」『大鏡」などに記される。さながら、現代で言うゴーストバスターズやヒーラーか。

 あの時代は確かに、闇の中に鬼や妖怪がいたのだ。

 私たちは、安倍清明をエクソシスト(悪魔祓い師)や超能力者的に見ている。ヒーローとしての、強くてかっこいい安倍清明。けれども、そういった力がどこからきたのか、また、どうやって得られたのかには、なかなか目を向けない。

 「そりゃ、きっとものすごい修行をして…・・・・」あるいは、「生まれついての才能」と、思うだろう。確かに、修行はあった。才能も並はずれていた。しかし、陰陽道は、自然の観察から生まれた学問である。宇宙のすべては陰と陽の二つの要素から成り、循環していると考える自然科学である。地震や火山の噴火、台風などの自然現象から、人の病気や不幸なども、陰陽のバランスが崩れた結果であると観て、それを修正する。

 「呪術」は、そのための「技術」だった。言霊や形、形式、方角などにエネルギーを封じる。だが、技術は学べても、それを扱う心は簡単には得られない。

 武道やスポーツを志したことのある人なら、不動心や平常心がいかに得難いかを知っている。呪術も「形式」だけをまねると、本質が見えないために、低級霊(動物霊や幽界で迷う人の霊)にからかわれることのほうが多い。

 陰陽道の深さは、そのまま「禊(みそ)ぎ」と「祈り」の深さである。いかに「無私」の心でいられるか、「無欲」「潔癖」「無償の愛」が要求される。自分の力を誇る者、霊力の強さだけでは、本物の陰陽師にはなれない。かつて、陰陽道による「奇門遁甲八陣」を使ったという蜀の天才軍師、諸葛孔明もまた、「無私」の人だった。

 安倍清明が、安倍清明たる由縁は、その徹底した「無私」にあった。出世を望むわけでもない、家屋敷などの財産を求めたわけでもない、名声も富も、まして女性に好かれようとしたのでもなかった。彼の求めていたのは、どうしたらこの国や貧しい人々に真の幸せが訪れるのかという、切なる「祈り」だった。だからこそ、あれだけの霊能力が与えられ、術も使えたのだ。だがしかし、宮中の人々に恐れられ、敬われていても、母親の顔も知らない、誰からも理解されない、哀しいまでに孤独の人。

 彼が見ていたのは、きっと、平安の闇とされる鬼や妖怪ではなく、民の苦しみを知らず驕り高ぶる、貴族たち雲上人の”心の闇”だったろう。

 そして、この世の災いを鬼や魑魅魍魎(ちみもうりょう)など、「外」の力のせいにしていた当時の世界観の中で、「内」に原因を観、人の心の「穢(けが)れ」を祓うための「禊(みそ)ぎ」を、必死にしていた日がいない。

 陰陽道は、陰と陽を説く。が、「対立」の概念は存在しない。すべては互いに入れ替わり循環していく、調和的世界である。悪霊退治も、言葉で読み書くと「戦い」だが、悪霊となった「恨み」や「憎しみ」を鎮め、「悲しみ」を慰めたのだ。

 私たち現代人は、ともすれば、すべてに「対立」を当てはめようとする。「誰は誰の味方で、誰が自分の敵なのか?」と。けれど、それはごく近代に現れた考え方で、古代縄文の日本人は、アメリカやオーストラリアの先住民たちのように、物事を対立的にではなく、その現象の背景に「因と果」を観ていた。

 対立からは、真の平和や調和は生まれない。

 勝ち組とか負け組とか、そろそろ、そんな世界を終わりにしたい、と思わない?

 現在、安倍清明を好きだと言う人が多く、今なおその史跡等を訪れる人が絶えないのは、後世の私たちが世界を対立ではなく調和的にとらえられるように、安倍清明が、平安の都からそっと祈っているのかもしれない。