物質にも意識がある。物を大切にと言った昔の人はそのことを知っていた
〜「人生を変えるヒント2」より〜
物質にも意識がある、と言ったら驚くだろうか?
ロンドン大学の理論物理の教授であるデビッド・ボーム博士がエレクトロン(電子)はエレクトロンの意識を持っていると発言して物理学界を驚かせたことがあったが、今では金属疲労の原因を調査している科学者たちの見解もそうなりつつある。
私は車を運転しているが、ときどきエンストを起こす。調べてもらっても原因がつかめない。かなり走っていますから、年なんでしょうというのが専門家の意見である。
すねてエンストを起こすと「どうした?」と聞いてやり、そこらを適当にさすってやるとまた走りだす。昔のアメリカのコメディーに、映らないテレビをぶったたいたら映りだす場面があった。あれも頑張れと活を入れていたのだ。物質自体に意識があるのはエネルギー的なものの見方をするとわかってくる。物質はエネルギーがある鋳型に押しこめられてそこに一時とどまっている状態である。氷が溶けて水になり、水蒸気になっても水の本質が変わらないのと同じように、物質は一定の方向を保った状態にすぎない。エネルギーには独自の周波数がある。その中に生命や意識が生じても不思議ではない。人間はまだ生命の正体を解明できてはいないのだから。
思えば、昔から人の作ったものには魂が宿ると言った。だから日本人は針供養やタンス供養などをしてきたのだ。物を大切にとは、物に宿る心を大切にという意味だった。私たちは飛行機に乗るときに機長やスチュワーデスには感謝するが、飛行機そのものにも感謝する心を持ちたい。すべてが生きていて、お互いを生かしあっているのだから。